循環とは経済と環境を知ることから始まる

指示ゼロ経営

未来の社会のあり方とは

このブログはこれらの人に向けて書いてます。

経済環境が同じ語源の理由が知りたい人
2018年以降の経済の行方が気になる人

20世紀は物を売る環境を整えることで先進国をはじめとする国々は経済を豊かにしてきた。
豊かにするための犠牲として後進国に物を売る姿勢を貫いてきたわけだ。
この構図にあるのは誰かが豊かになる一方で、誰かが貧しくなるということ。
そんな20世紀から21世紀へとシフトしていくにつれて、モノではコトやあり方が問われるようになる。

松本家族MGのスタッフをしていることもあって、前日にたくらみ屋のボス森本繁生さんにお会いした時に
「これからの将来はどんな経済になると思いますか」と思い切って聞いてみたんです。

アッシは難しいことを聞くねー どんな未来になるか分からないけど、アッシも会ったことがある中道さんがね。経済と環境は同じ語源だよね。」と答えて下さいました。

ぼくはこれを聞いてなるほどって思ったんだよね。

これから商品を売ることではなく、循環を意識しているコトや物じゃないと拡まらないなぁと。
物は社会に溢れ、時には幸せを阻害する要因になりつつある。断捨離を加速させながら本当にそう思いました。

環境と経済が同じ語源とは

すごく参考になるページから引用しました。(押してもらうとリンク先に飛びます)

エコノミーとエコロジーという語はいずれも、ギリシャ語で「家」を意味する oikos(オイコス)に、それぞれ「規則/規範」を意味するnomos(ノモス)と「論理/学問」を意味する logos(ロゴス)が付いてできた合成語です。古代ギリシャではこの語は「家内の管理」「家政学」という意味で使われていました。

現在の意味での economy という使い方は、17世紀フランスの経済学者アントワーヌ・ドゥ・モンクレチアンが、国家レベルの経済活動を対象としてéconomie politique (エコノミー・ポリティック)という言葉を用い、それが英語に political economy として入ってきたのが最初のようです。やがて、economy だけで独立して、家から国家まで含めた経済活動を指すようになったのです。

それではエコロジーのほうはどうかと言えば、19世紀ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルがギリシャ語を念頭において Öcologie(エコロギー)という造語を案出したのが最初のようです。ヘッケルはエコロジーを「有機体とその環境の間の関係を示す科学」と定義しましたが、その後さまざまな人の手を経て、「ecosystem(生態系)」という考え方や社会・政治運動などへと発展してきました。

ぼくはこの記事を読んで経済は物が売れて、お金が豊かになることではないと感じました。
では経済とは一体何を意味しているのか?

家を規則で守る学問である。

家とはすなわち地球のこと。
どうやったら地球という家を長く存続できるのかを考える学問が経済らしい。

もっと簡単に言うと、
経済は、家(地球)という物を守るためのものであり、むやみやたら物を売ることでもないし、ましてや環境を汚すことでもない。

先人たちのネイティブアメリカンのインディアンは今をすごく大切にしてます。
狩をしても、自分の食べる分だけを摂ってきて、大地に感謝を捧げる意味を込めて、頭を供える風習があります。
これは7世代先(セブンスジェネレーション)という考え方で、今日と同じ日が続きますようにと考えるあり方であって、循環を意識した生き方なんですよね。

でも今はその考え方とはかけ離れている。メディアを通じて売るということが如何にも経済であるかのように感じられるようになってきた。

未来の経済に求められるのは循環

かつての日本では、「○○屋」というお店が沢山ありました。その日に必要な分を仕入れて販売する。決して環境に影響を与える心配もなかった。

でもいつしか人口が増えて、欧米の文化が流れ込み、大量生産、大量消費が当たり前になり、この考え方が崩壊しました。日本にも必要以上に物が溢れ、輸入している日本が毎日お茶碗1杯分を廃棄する有様なのだ。

また、昨今では、シェアという言葉が飛び交い、家をはじめ、車までもがシェアされるようになってきた。
このことからも家(地球)というものが基本に還つつあることを意味しているような感じがしてならない。

循環を知るためには経済と環境を理解すること。
つまり、必要以上に物を買わないで、今ある物を大切にすることに他ならないのではないのか。

そしてこれからの時代は、循環という本質を意識しないと、存続することは難しいんだろうね。とも感じたんだよね。
かつて繁栄に富んだものでも減少傾向にあるものは大切さを意識させなかった以上に、今の循環という概念からも外れているのかもしれない。

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ふかいあつし

ふかいあつし

1986年、長野県生まれ。田舎ののんびりした空気でスクスク育つ。大学時代は憧れで都会の愛知県に行って一人暮らしをするもコミュニケーションが出来ずに孤立を味わうことになる。卒業後は、家業の新聞屋にて就職。2年後に会社の過去の清算をすることを機に、幸せとは何かを考え始める。目指すは自分の真理を多くの人に伝えられるようになること。