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ビルエヴァンスのエピローグを聞くと回想する
このブログはこれらの人に向けて書いてます。
・ビルエヴァンスのエピローグを知らない人 ・死生観について考えたい人 |
ビルエヴァンスのエピローグを選ぶ理由

昨日はwifiの接続が悪くてインターネットにアクセス出来なかった。正直いつもアニメ動画やユーチューブを付けている者からすると初めての経験で動揺を隠せなかった。
パソコンの動画は全てネットからのクラウド配信。データーが残っているはずもなく、この時間をどうすればやり過ごせるのかずっと考えていた。
そうだ!音楽があるじゃないか。
そう思って、itunesの1800曲の中からビルエヴァンスに目が止まった。jazzはそんなに詳しくないけど、ビルエヴァンスに関しては一人で仕事するときに掛けていることも多々あるので知っている曲が多い。タイトルこそ分からないけど、聴いてるって感じかな。
でも、その中で唯一自分が愛してやまない曲がある。それが「Epilogue」だ。
エピローグはわずか43秒しかない。短い曲だ。
でも、エピローグにはぼくが望む死生観そのものなのだ。
死生観とは何か。

自分がどう死にたいのかを考えること。
参列者はどんな人か。
どういう表情で見送られたいのか。
どういう表情で見送られたいのか。
死生観を考えることで今のあり方を見直すことが出来るんだよね。ぼくは昨年の夢新聞で死生観について考えていました。多くの人に拍手をされて見送られたい。果たして今はそうなれるだろうか。常に自問自答しながら生活しています。
たくさんの時間があると思うから、人はダラけたりします。だらけることがいけないなんて言うつもりは毛頭ないですが、でも真剣に向かうときは向かわないと人生で後悔するんだろうなぁと
ぼく自身は25歳までお世辞にも一生懸命生きてきたという人生を送れていない。だから今すごく後悔しているし、後悔した時を知っているから、以前よりは努力できる体質になれた。
でも、これが自分の出せる力じゃないと思っているし、まだまだ努力出来るよね
そう信じている。
ちなみにだが、ぼくの最期は、フランダースの犬のように、天使に運ばれながら、たくさんの人に祝福されながら、あの世に旅立つ。そんなイメージだ。
エピローグを聴きながら人生最期を迎えたい。

最後の晩餐という言葉があるが、ぼくにとって最期はこの曲を聴きながら、この世を去ることが今の死生観となっている。
メンタルヘルス協会の代表。
衛藤信之先生の言葉を借りれば、人生には「味方になる人もいれば、敵になる人もいる。キリスト教のイエスを裏切るユダではないけど、それぞれ役割を持って生まれてきている。当然その中には好きになる人もいれば、嫌いになる人もいる。
全ての人がいるお陰で人生を楽しめた。
ぼくも万感の思いで一礼をしてこの世をさりたいと心から願っている。
誰もが望む芸能人のような生活。
バイオリズムで言えば、波がある生活。
華やかな部分ばかりフォーカスされるけど、幸せは華やかな部分ではなく、穏やかなところにこそ存在している。
しかもだ、それを長続きさせることの方が難しいことを先人は身をもって経験しているのだ。
今はまだ気づけていないんだろうけど、ぼくに出逢ってくれた人は全てプレゼント。
これからはインターネットをしない日もありだな。
音楽を聴きながらブログを書く日を増やそうかな。すごいいい体験になった。
ここでお願いがある。
もし、ぼくにエピローグを弾いてくれる人がいたらお願いしたい。
多分聴いたら泣いてしまうかもしれないなぁ。。
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ふかいあつし
1986年、長野県生まれ。田舎ののんびりした空気でスクスク育つ。大学時代は憧れで都会の愛知県に行って一人暮らしをするもコミュニケーションが出来ずに孤立を味わうことになる。卒業後は、家業の新聞屋にて就職。2年後に会社の過去の清算をすることを機に、幸せとは何かを考え始める。目指すは自分の真理を多くの人に伝えられるようになること。

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