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姓名判断20画を知りたい人へ
日本人の画数の9割以上が良くない。そんな記事を読んだことがある。
というのも、誰もが画数を意識して名前をつけていたりしないから仕方がないことだと思う。
ただ国はというと戸籍謄本に名前を一度だけ変えても良いことになっていたりもする。
この矛盾はなんなのだろうか。ぼく自身疑問を持たざるを得ない。
今回は姓名判断20画について書くわけですが、この画数は最凶数と呼ばれ、つけてはいけない画数の代名詞だったりします。
でもぼく自身は総画が32画のため、心を乱しながらも保つことが出来たりもするのです。
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たまに、友人から心理学を受けてきているのに、何で占いにお金を使うのと聞かれたりもするのだが、ぼく自身、将来に対する不安を払拭したいからに他ならない。
将来的には結婚も視野に入れられるようになりたいと願っているが、本当にそんな日は訪れるのだろうか。内心不安だったりする。
でもSNS上では、すごく陽気で楽しいことしか発信してないから、悩んでないでしょ(笑)なんて言われたりもするけど、そんなことはないのだ。
それにぼく自身、心が強いなんて言ってはいない。強いて言えば、今まで生きてきた経験の中で打たれ強くなっただけでしかない。
だからこそ、楽天占いを見たりして、自分を客観的に保とうとしている。
このブログは姓名判断20画のことを赤裸々に書くものである。もし貴方が20画について知りたいと思っているならきっとヒントになることだろう。 |
アクセルよりブレーキが強い|姓名判断20画
例外もあるが、0がつく画数は総じて良くないのが常である。0とは、9という高次元を超えた先に砕けて無くなってしまうという宿命にある。無くなるということは今ある感情をも無くなってしまうことを意味します。
楽しかったと思っても、いつのまにかに不安に苛まれて、その思い出の存在価値が低くなってしまったりする。
スピードメーターがあるとするならば、アクセルを踏むよりもブレーキを踏んでいる方が遥かに長くて、心が常に乱された状態になりやすい。
仮に良い方向に振り切っても一時的なことが多く、すぐにブレーキを踏んでしまう傾向にある。
途中で嫌気がさして投げ出してしまう|姓名判断20画
物事がもう一つってところで嫌気がさして辞めてしまうのも0画の傾向にある。先に書いたが、0は9という高次元を超えた先に破滅するものとして存在している。
いい具合で物事が進行しているときは良いが、突如、不安になったりするとゼロからやり直したくなったりする。
何事も根気強くやるためにも諦めないことが大切
刺激、ギャンブルが大好き|姓名判断20画
姓名判断20画はギャンブルが大好きだったりします。心が平穏に保てない分、刺激を求めることで平穏を保とうとしたりするのです。
ぼく自身も数年前まではギャンブルをしていましたね。
でもあるときに虚無感を抱いてからしなくなりましたよ。
もしギャンブルしていなかったら今の資産の3倍から5倍くらい持っていたことでしょうね。
心が不安定なため精神的な安定を求める|姓名判断20画
ぼくが結婚したいと思っている理由の一つはコレです。相性が合うパートナーに出逢えたら、一生お互いの夢を支え合いながら生きていたい。
相手がいるってだけで、実はぼくの叶えたい夢の大半だったりします。
一人でいるのはそれなりに楽しいですが、いざという時に一人がどうしても耐えられない時があるんですよね。
そして、20画は例外も存在します。それがコレ!!
死線を超えると画数が跳ね上がる|姓名判断20画
この画数は死線。生死を彷徨うことで変わる画数としても知られています。
ただし、大抵の場合は、戻ってくることが難しいとされています。
千原ジュニアやビートたけし。は一度大事故で死線を超えたからこそ、復活できたなんて言われているのもそのためです。
安斎流姓名判断では
報われない努力家として知られる|姓名判断20画
画数なんて人生に影響ないよって言われる方も居ますが、心が乱されたりしませんか。
その理由を相手のせいだと思ったりしていませんか。実は姓名判断の画数が貴方に与えている影響だったりするのです。
ぼくが自分の画数と31年間関わってきて感じることは、自制心を持たないとすぐに心が折れてしまうということです。
すぐにネガティブに落とされ、マインドで沈んでしまう。
それだけ姓名判断20画の威力は想像を絶するのです。
とはいえ、ぼく自身は総画が32画のため、日本メンタルヘルス協会で学んだことを踏まえて、自分を受け入れながらやっていますがね。
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ふかいあつし
1986年、長野県生まれ。田舎ののんびりした空気でスクスク育つ。大学時代は憧れで都会の愛知県に行って一人暮らしをするもコミュニケーションが出来ずに孤立を味わうことになる。卒業後は、家業の新聞屋にて就職。2年後に会社の過去の清算をすることを機に、幸せとは何かを考え始める。目指すは自分の真理を多くの人に伝えられるようになること。

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